2015/08/15

受け取ること 与えること


先月のことですが、フェイスブックでちょっとしたブラックジョークを飛ばしたら、書き込みが

「何でいつも受け取らないんですか」

とありまして、一瞬、カチンと来ましたね。

なんでおまえからいわれなあかんねんと。

 

カウンセリングでは、よく「受け取る」「与える」という話が出てきます。

何を? といわれれば、愛だったり幸せだったり、想いだったりと、まあそのときによって言葉を選んでいただければいいわけです。

 

逆に、「幸せになりたい」と望む人に対して「もっと愛を受け取りなさい」というのもありますよね。

この表現ですと、現状で幸せを実感できないわけですから、幸せを実感するためには、「自分は自分が感じている以上に愛されている」ことを受け取るk十ができれば、幸せになる可能性は高いかと思われます。

 

じゃあ、私は書き込んだ人のいうように受け取っていないのか?

皆さんからみたらそう見えるのでしょうね。

では、受け取っていない私は不幸なのか?

そんな事はありません。

満足はしていませんが、今でも十分幸せです。

なぜなら、現状は自分が望んだ結果ですからね。

 

それでも、多くの人から「受け取っていない」といわれてしまうのは、皆さんが

「もっと幸せになれる」とか

「もっと幸せになっていい」とか

「もっと成功していい」

とか思われているのでしょうね。

 

でも、ここで疑問が。

皆さんの「もっと~」は、本当にその人にとって必要なのか、本当にその人を幸せにするのか。

 

たしかに「もっと~」は、その人が幸せになる選択の一つかもしれません。

 

でも、お昼のコンビニで弁当を食べてお腹いっぱいのときに、「じゃあうな重でも」と誘われてもちょっとつらいものがありますよね。

 

どんなお弁当でも、どんな豪華な料理でも、満腹ならそれ以上は欲しくないんですよね。

 

もちろん、求めているのに受け取らないのは問題です。

「もっと幸せになりたい」と思っているのに、周りから与えられるものを拒絶するのは、ちょっとおかしな話ですよね。

おなかがすいたといって騒いでいるから焼きそばを作ったら「お寿司じゃなきゃやだ」といってだだをこねているようなものです。

 

また、食べたくないのに「いいから食え!」と無理矢理食べさしたり、既に満腹なのに「もっと、もっと」と無理矢理詰め込むのも正しくはないですよね。

 

このように「与える」「受け取る」というのは、単に与えればいい、受け取ればいいというわけではありません。

 

それはまるで、すごく手のかかる花や野菜を育てているのと同じで、肥料や水を与えすぎてもいけないし、やらなさすぎてもいけないわけです。

 

何事も過ぎるはよくない、ということですね。

 

各有私もいつもここで失敗し続けています。

 

与えるときは、相手が受け取れるキャパシティをみながら、そして本当に欲しいものが何かを創造しながら与えた方がいいでしょう。

 

受け取るときは、まず受け取れない理由を探し、その受け取れない理由は本当に正しいのかどうかを自分自身で探る必要があります。

もしくは、まず受けとってみてから考えるというのもありでしょうね。

 

気をつけなければいけないのが、与える事が押し付けに、受け取る事が犠牲にならないようにする事でしょうね。

 

きちんと与えるのも大事

きちんと受け取るのも大事

 

ですね。

 

 

 


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