2015/08/19

袖ふれあうも・・・

先日、ちょっと混んでいた電車に乗っていたんです。

ちょっと眼鏡がずり落ちたので直したのですが、そのとき下ろした手が、目の前でスマホを見ている人のスマホにあたっちゃったんですよね。

そしたらそのにいちゃんが「チッ」と舌打ちをしたわけです。

おっ

と思いましたね。

電車に乗っていますと、最近は皆さんスマホをいじってらっしゃる方が多いですから、このような事がほぼ毎日のようにあるような気がします。

ただ、こんなときふと想像するんですよね。
たとえば、私の見た目がすごく厳つくて、強面の出で立ちだったら、このにいちゃんは舌打ちをしただろうか、とかね。

たぶんしないでしょうね。

袖ふれあうも多少の縁
なんて昔は言っていましたが、今は袖ふれあう事自体が邪魔な感じやストレスになる世の中になっているのでしょうね。

ちなみに、そのにいちゃんはゲームに夢中でした。

自己の権利を主張する。
これは、自分のパーソナルスペースを守るという意味も含まれますが、それ自体は問題ではないし、ある程度主張する事は必要だと私も思います。
でも、自己の権利を主張しすぎてた人の権利を阻害するのは、果たしていい事なのでしょうか。

たとえば、企業から損失を被って、その損失分の権利を主張する、これは権利として当然だと私も思います。

以前このような話を聞きました。
ある地下鉄の駅で女性がバッグを電車のドアに朝まれ、電車が立ち往生してしまったんですね。
結果バッグはドアから取り出せたのですが、バッグが傷ついたと言って駅員に詰め寄り、弁償までさせたという話を聞いたことがあります。

みなさんは、どう思います?

もし皆さんが電車の乗客なら、この女性のために10分以上、電車に閉じ込められる事になるんですよね。
腹が立つと思いませんか?

でも、自分がドアにバッグを挟まれた人間であれば、駅員に詰め寄りますか?
ここは人それぞれなのでしょうね。

結果として電車会社は、電車は遅れ、バックを弁償したわけですが、損失はすごい事になるわけです。
これ、後に乗車運賃に跳ね返ってくるんですよね。

この事例が結果として皆さんがどう思うかは自由ですが、私は過ぎる主張は廻り廻って、結果自分のみに降りかかる気がしています。

今まで主張しなさすぎた日本人の反動だと思えば当然の流れなのかもしれませんが、心を扱う仕事をしていて、心が荒んでいっているように感じてしまうのは私だけでしょうかねぇ。

あのにいちゃんも、いかついにいちゃんに絡まれないようにと願う限りです、なんて思うわけないでしょう(笑)

やった事はいつか自分に還ってきます。
このにいちゃんは、自分の行動によって誰かに舌打ちされるのでしょうね。

お気の毒に。

 


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