備えよ常に
9月1日は、防災の日でした。
防災訓練をされた方や、職場や家の周りの避難場所の確認、非常用持ち出し袋の点検など、された方も多いと思います。
まあ私は阪神大震災の経験がありますから、本来防災に関しては一日の長があります。
そこで、ちょっと当時のことを思い出したんです。
当時、被災地ではたくさんの避難所があちこちにあって、定期的に見回りとかをしていたんです。
私は当時Bという団体に所属していて、そこから各避難所を見回ってご要望やご意見などを聞いて回っていたわけです。
ある避難所で、ボランティアの方に聞かれました。
「避難所の地図みたいなのありませんか?」
私は、以前駅で「避難所マップ」が配られていたことを覚えていたので、「ある」と答えたんです。
そしたら、一緒にいた人が「ない」と否定したんですよね。
結果Aという団体が発行していたことが後でわかったのですが、私は同行していた人に聞いてみたんです。
なぜ避難所マップがあることを否定したのか。
答えは、B団体が発行していないものは責任が取れないから、でした。
A団体の人が避難所マップについて「ある」と答えても、A団体の発行ですから責任はA団体にある。
でも、A団体で発行したものをB団体の人が「ある」といってしまうと、責任の所在がA団体なのかB団体なのかわからなくなる、ということでした。
まあ責任をとりたくないという気持ちはわからなくはありません。
ただ、こんな感じで最前線の現場にはモノや情報が届きにくいんだろうなぁ、とちょっと感じたんですよね。
また、同行者が後で教えてくれたことに、当時とある避難所の人が相当難癖を付ける人で、A団体の人もB団体の人も、相当苦労していたみたいです。
えらいぶっちゃけた話になっておりますが、別に誰かを非難しているわけではありません。
A団体の人もB団体の人も、避難所にいる人も、皆必死で未来への不安と戦っていましたからね。
個人の権利を主張することはいいことですし、それ自体は問題はありません。
ただ、個人の利益だけを求めて、それをさも権利のように主張するのはどうかなぁ、と感じるわけですよ。
このやり方は巡り巡って自分に還ってきますからね。
まあ震災に限らず、ですけどね。
自然災害は、良くも悪くも人生に大きく影響してきます。
災害が起きてからが、本当の闘いです。
ボーイスカウトの言葉に
「備えよ常に」
という言葉があります。
これは、起きてからどう行動するかを想定するんですよね。
まあ年に4回くらい、「備えよ常に」の気持ちでいるのもいいのかな、と感じます。
因みに、なぜか友人が非常食の缶詰とリッツ缶をくださいました。
今すぐあけそうで怖いです(笑)
私は震災以後、無意識に食料をため込む癖がついてしまい、精神的に追い詰められると異常に食べてしまうんですよね。
一時的な過食症になる感じです。
震災体験が、完全なトラウマになっているわけですね。
さて、自分のトラウマと向き合ってみますかね。
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