あたりまえでなくなる日
休みの日には、本を読んだりビデオを見たりして、インプットに余念がありません。
私は基本忘れっぽい正確ですから、一度読んだ本でもすっかり忘れて、一から読める楽しさがあります。
で、その日はのんびりとビデオを見ていたんです。
大沢たかおさんが主演の映画だったのですが、ヒロインのの女性の名前が出てきません。
あれぇ、だれだっけ?
みた事あるんだけどなぁ(そりゃそうでしょ、有名な女優さんなんだから)
映画を見ながら、誰だったかなぁ、誰だったかなぁ、とずっと考えていて、最後の最後、エンドロールで初めてわかりました。
人の名前が出なくなったらもう歳ですよね。
最近では老眼も進み、とうとう裸眼で魚の骨がより分けられなくなりました。
この前なんて、土曜日でお休みなのに職場まで行ってしまって、職場について初めて「今日土曜日だ!」と気が付いて、カフェでずっとへこんでました。
まあ毎日老いを実感しながら最近は過ごしているのですが、老いを実感していくと、今まで当たり前にできていたことが、当たり前にできなくなっていくんですよ。
でも、当たり前にできていたことって、じゃあ生まれたときから当たり前にできたのかというとそうではなく、もともとできないのが当たり前だったのが、できるようになって当たり前になったわけです。
当たり前のことが当たり前でなくなる。
そこには、当たり前であることのありがたさと、当たり前にできていた自分への賛辞があるんですよね。
ぶっちゃけて言えば、当たり前と思えている間は幸せだということですよ。
人はちょっとしたことで、あたりまえでない状況になってしまいます。
いつも言っていることですが、当たり前であることに、日々感謝を忘れないように、心掛けております。
当たり前でなくなってからでは遅いですからね。
当たり前でなくなる前に、たくさん感謝しておいてくださいね。
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