天職
先日、散髪に行って気がついた事があります。
別に禿げたわけではありませんよ(笑)
髪が長いときには、あまり気にならなかったのですが、短くしてみると白髪がすごく気になります。
しかも、ずいぶん増えてましたね。
こういうところで歳を感じるようになってきましたねぇ。
もう一つ、歳を重ねたなぁ、と感じる事が一つ。
それは、天職に関する事ですね。
天職とは、皆さんの中にいろいろ定義があると思いますが、私の中では「好きで続けられる仕事」であり、「このために生まれてきた」仕事と感じております。
例えばそれが趣味の世界でも、好きを極めればそれは天職になり得ると感じるんです。
実際に、エレベーターの研究をしている人がいて、京都のエレベーターが右立ちなのか左立ちなのか、それがいつからなのか調べている人がいたりします。
ほとんどの人が興味を持たない事ですが、この人は興味を持って極めた結果、なぜ東京のエレベーターが左に立って、大阪のエレベーターが右に立つのかとか、調べたんでしょうね。
皆さんが天職に就こうとしたとき、どのような気持ちになるのでしょう。
好きを天職にするときは、何も考えずに天職に邁進していくと思います。
それが10年以上続けば、間違いなく天職でしょうね。
でも、そうではない場合もあると私は感じます。
それは「それだけはやりたくない仕事」の中に、天職があるのかなぁ、と感じるわけです。
例えば、天職を手に入れたとして、その天職で失敗したら、どうなるでしょう。
受けるダメージは相当なものでしょうし、天職がだめだったときに、他の仕事がうまく行くと感じるでしょうか?
つまり、天職は「もう後がない」と感じさせる仕事かもしれません。
だから多くの人は、天職を手に入れるのが怖いのかもしれません。
実際に天職でうまく行かなくなる事例があるだろうかと考えたら、可能性としてスポーツ選手や芸術家にはあるかもしれないな、と感じたんです。
例えば野球が天職で、プロ野球の選手になれたとしたら、これは天職を手に入れたと言えますよね。
でも、プロの世界でうまく行かず、結果引退したり、けがで続けられなくなったりすると、天職を手放す事になってしまいますよね。
手放すまでに自分が満足するまでやりきった、と感じられれば、それはこころが納得しますから問題ないかもしれませんが、満足しないままに手放す事になれば、あとあと尾を引くでしょうね。
なぜこんな事を書いているのかというと、私自身ふと疑問に思ったんです。
天職を手放した後って、どうなるんだろう。
まあ満足しているかどうかで結果は違うでしょうが、しばらくはへこむかもしれませんね。
でも、その後で新しい天職を探すのだろうなぁ、と、ちょっと感じるんですよね。
なぜなら、天職はお金を稼ぐ「仕事」と直接関係するときとしないときとありますからね。
それがどんな作業であれ、「人生の喜び」を感じさせてくれるものは、全部天職なのかな、と感じるわけです。
それがあやとりや紙ヒコーキのような遊びでも。
天体観測のような趣味でも。
子育てや家事でも。
おしゃべりでも。
誰かを愛する事でも。
それが自分にとって「人生の喜び」となり得るようなら、天職と受け入れてみてもいいかもしれません。
皆さんは、今天職を持っていますか?
そして、その天職は人生を豊かにしてくれていますか?
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