21年前(3)
この内容は、昨年1月にメーリングリストで連載したものです。
ここから、震災当日の話になります。
当時のありのままを書きますので
痛いと感じた人は読まないようにしてください。
当日、全く寝付けません。
出張で早くに家を出なければいけないのに。
やっとうとうとし始めた矢先。
午前5時46分
突然「ドン」という小さな音が響きました。
そのとたん
次々と音がつながり、そして轟音とともに家が弾みだしました。
部屋中の荷物はあちこちに飛び交い、ベッドごとからだが跳ねます。
頭の上に24インチのプラウン間テレビが落ちてきたとき、死を感じました。
ベッドだったから助かりました。
揺れがおさまって、部屋の中を見渡します。
そこは、なにもかもがぐちゃぐちゃになった世界。
閉めていたはずの窓が開いていました。
窓から外をのぞくと、駐車してあった車が向かいの駐車場に突っ込んでいました。
揺れだけで車が4メートル動いたんです。
家族の安否を確認すべく、荷物をかき分け扉へ向かします。
開かない
荷物が引っかかって、閉じ込められてしまいました。
なんとかこじ開け、姉の部屋へ行きます。
姉の部屋もドアに何かが引っかかって、開きませんでした。
ドアの近くに物を置くのはやめましょうね。
1階にいる両親の部屋へ行きます。
両親も無事でした。
でも、漆喰の壁は外れて部屋に倒れ込み、やはりブラウン管テレビが布団の上に落ちています。
一番大変なのが台所と玄関です。
玄関は置物や花瓶が割れ、靴の中にガラスが入り込んでいました。
台所は言葉にできないくらいの惨状で、足を踏み入れる=間違いなくけがをする、という状況でした。
全員で姉の部屋に入り、ラジオから情報を得ようとします。
入ってくる情報は、信じられない事ばかり。
余震がくるたびに、お隣の家の瓦がガラガラと落ちていきます。
電気も、ガスも、水道も使えない。
情報もない。
友人たちは、彼女は果たして無事なのか。
そんな時間が8時30分まで続きました。
8時30分に電気が復旧し、家族総出で片付けを始めました。
周りの家は地滑りを心配して避難していましたが、私の家は避難せずです。
理由は
「避難しても姉がいれば周りの迷惑になり、いじめられる」という事でした。
障害者がいるから、という理由で避難を断念したわけです。
当時は障害者に対する風当たりはよくなかったので、親の判断も選択の一つとしてありなのでしょう。
片付けをしていて、やっぱり足をけがしました。
割れた食器が刺さったんです。
想定内の出来事です。
テレビで情報を得ながら、片付けを進めていきます。
その日は、冷蔵庫から飛び出したイカの刺身と、偶然炊いていたご飯で夜を過ごしました。
余震がくるたびに緊張しながら。
続きます。
コメントをお書きください