2016/1/20

21年前(5)

この内容は、昨年1月にメーリングリストで連載したものです。

 

7日目

 

5日目にあった友人と、お互いの無事を祝って、飲みにいきました。

 

 

 

がれきの中に、なぜかぽつんとお好み焼きやが。

 

またこれが、営業していたんですね。

 

 

 

店に入り、ビールで乾杯。

 

 

 

2杯目に入り、自分の様子がおかしい事に気がつきます。

 

 

 

息が苦しくなり、視界がどんどん狭くなります。

 

そして、意識がなくなりました。

 

数十分後、意識が戻って、気がつきました。

 

 

 

急性アルコール中毒です。

 

 

 

この事がきっかけで、お酒が全く飲めなくなりました。

 

 

 

自分が思っていた以上に気が張っていたんですね。

 

ほとんど寝てませんでしたし、食べ物もあまり食べていない。

 

その状態でアルコールは危険です。

 

皆様も気を付けてくださいね。

 

 

 

 

 

ここまでつらつらと

 

震災当日のお話をさせていただきましたが

 

これは私に限らず

 

あのとき震災を経験した人たち

 

そして

 

中越地震や東日本大震災を体験した人たちにも

 

それぞれの「その瞬間」が存在しているわけです。

 

 

 

皆さんの中にも、ありますよね。

 

 

 

 

 

カウンセリングでも

 

このようなお話を扱うことはよくありますが

 

カウンセラーはこんなときどうすればいいでしょう。

 

 

 

それは、いま皆さんがしている事をすればいいわけです。

 

 

 

聞いてくれるだけでいい。

 

 

 

それだけで、心は整理される。

 

 

 

私が毎年、震災の話をするのは、自分の心を整理するため。

 

皆さんにとっては嫌な話かもしれませんがね。

 

 

 

しかし、驚いたのは、あれから20年にもなるのに、よく覚えているもんですねぇ。

 

多少時系列に間違いはあるかもしれませんが、未だに克明に出てきます。

 

 

 

ただ、今は写真が見れなくなりました。

 

フラッシュバックします。

 

東日本大震災のときも、フラッシュバックしてえらい目に遭いましたからね。

 

 

 

そこまでして向き合わなくてもいいのに。

 

 

 

そういう人もいるでしょうし、その方が生きていくのは楽です。

 

私は馬鹿ですから、このやり方を選んでしまった。

 

 

 

神戸を離れるときに「絶対に忘れない」

 

そう決めた。

 

 

 

頑固ですねぇ、ほんとに。

 

 

 

 

 

後日談になりますが、電気は震災当日の8時30分に、水道は震災から約3週間後、ガスは一ヶ月強で復旧しました。

 

 

 

今でも水道から水が出た瞬間を忘れません。

 

うれしくて涙が出ました。

 

当たり前の事なんですけどね。

 

 

 

その当たり前が、何よりもうれしかった。

 

そして

 

その陰では、全国から救援に来てくれた人たちが、不眠不休でライフラインの復旧にあたってくれていました。

 

 

 

当たり前と思う事は、誰かの努力によって守られている。

 

 

 

この事を思い知らされました。

 

 

 

そして、3月に突然の兵庫県への出向命令。

 

 

 

復興と現実の中で悩み、苦しんだ事は、もしかしたら今のカウンセリングにも生かされているのかもしれません。

 

 

 

だからかもしれませんね。

 

普通のカウンセリングができないのは(笑)

 

 

 

 

 

続きます。